けさの朝日新聞に赤木智弘・宮台真司・なだいなだ三氏のコメントが
秋葉原連続殺傷事件から一ヶ月たったということで文化面で上のような記事。まず赤木氏であるが、正直「またかよ」という呆れの感情を隠せない。
自力での社会変革を断念して私は「希望は戦争」と言った。他方、加藤容疑者は自身の力を使い、失敗した。
私には、フリーターの境遇に苦しむ人々に「自力でどうにかしろ」と言う気はない。
でも、じゃあどうやって「フリーターの境遇に苦しむ人々」を救うつもりなの。だって、かりに戦争が希望だとして*1、どうやってそれを実現するのか。そのビジョンが一切呈示されてないし。だいいち、生活レベルを死守したいと思っている「安定労働層」が戦争なんて許すわけがない。
また、赤木氏は「自力」を否定するけど、「自力」以外で承認を得る建設的なアイデアを一切出さない。つまり赤木氏の主張は社会変革の実現性がゼロだという点で容疑者と同じ「失敗」を冒しているのだ*2。
ありっこない「希望」を待ち続けるよりも、むしろ自己責任を引き受けたほうがよっぽど精神的救済は得られる。いまの自分が苦しいのは自分の努力や実力が足りなかったせいなんだ、と思ったほうが諦めがつくぶんよっぽどマシである。逆に社会が変わらない限り自分は救われないと決め付けるのはものすごく残酷だ。社会の非流動性に失望させられる結末しか考えられないし、自力で何とかなったかもしれないチャンスがたまたま巡ってきても見逃すことになるかもしれない*3。
というわけで、赤木氏以外の二者、宮台氏となだ氏のほうに軍配を上げたい気分。前者は「人間ベースの情報」に帰することを薦めていて、これなら数人のグループレベルから実行できるし(実際「素人の乱」とか新しい共同体モデルのひとつのアイデアだし)、後者は「常識自体を見直す」という心構え論だけど、そうであるかゆえに個々人が受け入れてすぐ使えるアイテムといえる。