ロスジェネ論壇が自説を広める際のうまい方法を「かたち」の面から考察してみる

雇用流動化論な人とか、あるいは自己責任論な人とかがマスメディアにもweb上にも結構いまして、もちろんそれを対立し批判している勢力というのもあるのですけど、どうも旗色が良くないというか敵の牙城を切り崩せていない感じがありまして。まー理由は色々ありましょうが、自分たちの主張を実現するには味方を増やすことは不可欠だし、そのためには
敵がどうして強い支持を受けているのかを研究し、こっち側でもやれることは取り入れてみる
ってのが必要なんじゃないかと思います。
それが正解かどうかは分からないですが、まずやってみなければ正解には絶対たどり着けないわけでして、ぼくなりに色々考えたり観察したりするに、
文章の体裁とか見栄えとかの「かたち」ってすごい大事
なんじゃないかと思うわけですよ。広く支持を集める文章ってのは、そういう観点から注目すべき何かを持ってるんじゃないかと。ちょっといくつかよさげな例を集めてみました。

城繁幸さんの場合

雇用流動化論の最先鋒、城さんです。この方のブログは非常に読みやすく、とっつきやすい。理由はおそらくこのへん。

一個あたりのエントリが、おおよそスクロールなしに読み切れる。
大事なところは太字で強調してある。

この二つをやっただけで、ずいぶんと印象は違います。特にインターネットには本と違ってしおりが挿せません。なのでひと目で終わりが見えない文章は、読み終えるまでにどれだけ時間を奪われるか不安になり、読み始めることを敬遠してしまいます。いっぽうで、大事なところが強調してあると、どこが大事なのか考える時間が省けるので、読み手にとってはすごく親切なことです。
城さんのエントリすべてがこうではありませんが、これを意識している可能性は高いと思われます。

mixiの通りすがりコメントの場合

mixiニュースにヒモ付けた日記書くと、たまに変な横槍が入ることがあります、たいがい失礼かつ的外れな内容だったりするんですが、書式には学んで有意義な点があると思われます。

一段落を短くする=改行を頻繁に行う。
改行したごとに一行あける。

本などの紙と違って、パソコンのモニタは基本目に優しくないと思ったほうがいいです。言い換えれば、頻繁な改行をせず、また段落の切れ目を一字下げで示すやり方は、目に優しくないってことです。
で、こういうことをロスジェネ擁護な論客の人に進言すると、「いやそれはちょっと…」みたいな返しをよくされるんですけど、なんでその反応が出るのかが理解できんのですよね。おそらく「それをすると理論の正確性が失われる」的なことだと思うんですけど*1、でもそれは失わないままで上にあげたような「かたち」を採用することって出来ないことはないと思うんですけどね。
ちなみに「てゆうかお前のこの記事自体、その『かたち』とやらが実践できてねーじゃん」というご意見もありましょうが、この記事は日ごろ長くてとっつきにくい記事を書いている人相手に書いてるのでいいのですw

*1:だいたいそういう感じだと思う。それは違うとか、別の理由もあるとか思われる方コメントください。