安易な「語り」を回避する態度は、それをする人によっては責任逃れと取られる。

ゆうべの「文化系トークラジオLife」を聴いてて思ったのだけど。確かに格差社会とか非モテとかの問題と犯人の動機を無理やり結びつけるのは良くないと思うのだけど、反格差ニート論壇サイドの論客、たとえば赤木智弘氏などがそれを言った場合、責任逃れの方便としても使えるし、誤解を招くから、あえて「語りモード体勢」を保持すべきではなかろうか。