岡田尊司『脳内汚染』にまつわるエトセトラ

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060115ddm015070135000c.html
における鹿島茂の書評も含めて、
http://slashdot.jp/books/article.pl?sid=06/01/18/1313210&from=rss
に代表されるように、ネットの各所で論議が紛糾している今日この頃。
 
この本に代表されるようないわゆる「オタクバッシング」につながる言説を個別に洗い出し、その信憑性を検証、それが「トンデモ」だと信じるに足る場合は批判を加えるという作業。これは大事だと思う。が、ぼく自身はその流れに乗ろうという気にはならない。
 
なぜなら、
「特定の属性に含まれる集団を、もっともらしい言葉を使って不当に叩く人々」
が世間で支持される社会環境は、
「誤った説でも、もっともらしい体裁を整えていれば、多くの人が無批判に受け入れてしまう」
という世の中の土壌に支えられていると考えるからだ。
 
だからそういった土壌そのものを改めない限り、同様の「トンデモ」な主張は決して無くならない。つまり「オタクバッシングを世間的に正当化している根っこの部分」に踏み込まない限り、根本的解決はありえない。
 
繰り返しになるが、ぼくはもちろん個別の検証も大事だと思っている。でもそれは「虫歯の治療も大事だが予防も大事」というのと同じで、人々を啓蒙(というと偉そうであるが)することとリンクして成されないと効果は薄いと思うのだ。
 
もちろんそれはものすごく難しいことである。現代社会で何十年もの間をかけて作られてきた人々の思考ルーチンそのものに訴えかける行為なのだから。とりあえず一人ひとりのアクションを積み重ねるしかないわけで。
 
ではどうすればいいのか。個人レベルではやれそうな思いつきがあるにはあるんだが、長くなったし、その話はツッコミがあってからにしようっと。