旅するジーンズと16歳の夏

16歳の仲良し4人組の少女たちが、離れ離れになりながらもそれぞれの物語を展開させ、それらが一本のジーンズを媒介として繋がる、というアメリカ映画。

「そっか、要するにコバルト文庫なのだな」最初そう思って観ていた。原作はベストセラー小説だそうだし、ティーンの視点で描いているところもライトノベル的だ。

ところが、ラノベ原作の映像作品と比べて大きな違いがある。そこに「社会に開かれた目」があるかどうか。「旅する〜」では両親の離婚、死別、人種差別など、アメリカという国の抱える問題から目をそらすことなく真剣に向き合っている。「病めるアメリカ」のひとつの姿が、そこにある。

一方、日本のライトノベルは現実から乖離した傾向を示す。かりに現代の日本を舞台に設定していても、そこにあるのはぼくらの目の前にある「現実」とはかけ離れている「ファンタジー」だ。

だから、いきおいそれらを映像化してもそこに「病めるニッポン」の姿は見えてこない。それは日本社会がアメリカのそれより「健全」だからだろうか。そうではないだろう。家族の解体であるとか、格差の問題とかは、形を変えてこの国のあちこちに存在する。

だから、ぼくの第一印象は観賞後こう変化した。「そっか、要するに少女漫画なのだな」。例えば『愛してるぜ★ベイベ』のような、この国が抱える問題が子供たちを苦しめる現実を赤裸々に描写した少女漫画たち。それらと同じ風合いが、この映画には、ある。