MIYADAI.com Blogより「選挙結果から未来を構想するための文章を書きました」

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=302

要するに「新しい歴史教科書をつくる会」「2ちゃん右翼」などに代表される「ヘタレ保守」を批判するとともに、小泉支持では彼らは幸せになれないとも指摘する。この主張にはほぼ全面的に賛成。ただ。

宮台の挙げた「都市型リベラル」につながるリスペクトされるべき実例は、選ばれた人でないとなれないように感じる。凡人が田中康夫のようになるのは難しいだろうし、いきなり「圧倒的にポジティブに生きるロールモデルを示す女性」になるというのも困難だ。だからなれない人間は結局「ヘタレ」になるしかない。だってそのほうが自分にもなれそうな気がするし。

換言すればこういうこと。宮台が挙げる「リスペクトに値する生き方」の実例があまりにハイレベル過ぎて、「自分には無理だ」と思ってしまう。「どうせリスペクトに値する生き方は無理だから、自分は幸せになれない。だったらどっちでも同じじゃん」と。そして「その後幸せになれ」なくてもいいから、とりあえず「小泉流『決然』にカタルシスを得て」おくのもいいかなとか思ったりもする。結局なれるのは一握りの選ばれた人だけで、大多数の凡人は「無頼を気取り、神経質で、強迫的で、不寛容」な「ヘタレ右翼」になるしか方法がないんじゃないのか、と。

さらに言えば、やたらギャルを持ち上げるのも気になる。ギャル=「好き勝手に遊んでる奴ら」みたいなイメージがあるから、彼女たちが評価されるのは感情的に気に入らない。

だから「ヘタレもこうすればリスペクトに値する生き方ができる」とか「まずリスペクトに値する生き方をしている人を応援すれば、あなたも幸せになれる」みたいなことを言ったほうが戦略的にうまいんじゃないか。