単なる動物モノ、お涙頂戴モノ、ではない。

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最初に定義しておくと、ネタバレ前提の物語である。裏表紙にはひまわり畑の中に朽ちた乗用車が一台。帯にある「限りある命を、犬とふたりで。」というコピーとあわせて見れば、すぐにストーリーの察しがつくし、出版社もそれは承知と思われる。
なぜなら、俗に言う「お涙頂戴」がこの本に込められたメッセージの本質ではないからだ。「お父さん」と犬の「ハッピー」を巡る物語はすでに言った通り、いちいちネタバレというのも面倒なくらいお約束の結末であるので、それだけ取り出してもなんの価値もない、と極論したっていい。
ところがこの本にはもう一人重要な登場人物がいる。福祉事務所のケースワーカーである「奥津さん」だ。ひまわり畑のなかで朽ち果てた(「お父さん」と「ハッピー」の乗っていた)乗用車に関する処理が仕事として回ってくるのだが、彼に担当の警察官がこんな言葉をかける。

この男も奥津さんとこに相談にいってりゃあ こんなことにならんかったでしょうに

だから大事なのは、物語の中で「お父さん」たちが巡り会ったような悲劇を悲劇で終わらせない、そのために奥津さんのような人たちが官の世界にも(もちろん民草にも)いて、日々苦しい現実と立ち向かっている、ということ。現実は漫画じゃない。なくせる悲劇を悲劇のまま享受するのではなく、第二の「お父さん」、第二の「ハッピー」をこの社会は産んではならない。そのためにも、今日も沢山の「奥津さん」が日本全国で奮闘している。だからこの本の真骨頂は(いったんネタバレで暗示されていた)いっこの結末が終わったそのあと、本の後半部分。前半読んで「泣きました」で満足してちゃ絶対ダメ。そこからこういう悲劇を生み出している社会に対して視点をシフトすべし。