コミケに対する「全然わかってない」意見を、ピーター・シンガーに倣って許容してみようとしてみる

コミケは入場料を取るべきだ(旧題:コミケについて外野の無責任な意見を少し)
本当に「無責任」だとは思うのだけど、こういう意見をも存在を許容することが必要であることはこないだからこの日記で何度か書いているとおりであるけれど*1、オイラの書き方がものすごくわかりにくかったらしい(汗。かわりにアタイの某マイミクさんが、この概念を噛み砕いた表現されていたので引用します。

自分の尊厳を傷つけかねないようなものですら、許容することでそいつの言論の自由に対する信念が問われるわけだけどいないの?親戚をナチスに虐殺されてもなお、「ガス室はなかった」とほざく記者を釈放しろと主張するピーター・シンガーみたいなやつ。

なのでオイラも「自分の尊厳を傷つけかねないようなものですら、許容することで」自分の「言論の自由に対する信念」を示したいわけです。もちろんおかしな点は指摘しますよ?それこそこっちだって批判する自由は持っているのだから。