「アズマン=シンガー的思考(仮)」という概念を呈示してみる

こちらの東浩紀先生の講義メモの中に出てくるこの部分のような考え方を、「アズマン=シンガー的思考」ととりあえず名づけてみた。

今から数年前、
オランダの新聞にムハンムドを馬鹿にした漫画が載って問題になった
それと同時期に、
オーストリアホロコースト否定をしたデービット・アービングという人が投獄された
ドイツとかオーストリアでナチを賛美したりすると結構犯罪になる

その2つの事件を絡めて、
宗教的に重要な人間を戯画化パロディ化する権利は誰にでもある
言説の自由は大事
したがって、オランダの漫画化事件は漫画にする権利は認められないといけない
当然ながらデービット・アービングも釈放されなければならない
と言っている

シンガーはユダヤ
家族はホロコーストで被害にあっている
でもシンガーは、
ホロコーストを否定する言論の自由を認めなければならないと言っている
シンガーはホロコーストはあったと思っている
親族が殺されている

なぜ否定論者を認めなければならないのか
アラーを侮蔑してはいけないとイスラム教国と一緒になってしまう
最も尊いものを他人が馬鹿にしても許す
そういう世界でないと言論の自由は保てない

シンガーにとってホロコーストがなかったと言われるのは、
アラーを馬鹿にされるイスラム圏の人たちと同じくらい屈辱的
でも許す
釈放もされなければいけない
ホロコーストがあったか否かに関わらず否定論者の言論の自由は守られないといけない

つまり、「自分が共感するとか自分が不利益を公蒙るとかに関係なく、いやむしろ自分が不利益を蒙るとしても、正しいと思ったことは支持する」的な考え方を意味するタームがなかったので、それを「アズマン=シンガー的思考」と名づけたい、って話なわけ。
もちろん「シンガーは分かるけど、アズマン要らなくね?」というご意見もおありかもしれないけど、東浩紀氏が6月のTBSラジオ「Life」の中でやはりこのことを話していて、その説明が非常に今の日本人向けに噛み砕かれた内容だったので、彼の名前も外せないな、と*1
いちいち面倒くさいんだものwや、この概念俺は日記とかでよく使うのだけど、その都度この概念について解説をすると、文章が散漫になっちゃうの。概念の解説はいったんおいといて早く本題に入りたいわけね。だからこの概念に名前をつけて、分からない人はココ読んでね、というふうにしたいの。
もちろん、これお読みの他の皆様もこの言葉どんどん使ってくださって結構というか大歓迎。もっとも俺の命名センスがあまりに無いのは自覚してるので、ベターな呼び方もあれば作っていただきたく。まーこんな辺境の読者さんって凄く少ないので一般的に広まるとは思ってないけどw*2

*1:このとき東が言っていたのはこういうこと。日本では言論の場において「共感」というのが強すぎて、例えば「俺もフリーターだったからハケン切りとか他人事じゃない」とか。そうじゃなくて「俺もハケンだけど派遣切りには賛成だ」みたいなこと言う人がでてきて欲しい、と。むろん逆に「俺は正社員だけでど、正規雇用者の既得権益は無くすべきだ」も可である。

*2:もっとも、東が慨嘆するほどに今の日本もヒドくはなくて、マスの領域ではまだ「共感前提の言論」が強いけど、アマチュアのブログではアズマンン=シンガー的思考」に基づいたものは出てきてるんじゃないかなあ。