善悪関係なく、自分に都合の悪い相手は批判しないという心性

当初「モナバッシングは非モテのひがみ説」という題で書いてたのだけどやめ(ぉ。
勝手に邪推するに、(結婚して無いので)不倫もしない、(旅行に行けないので)世界遺産に落書きもしないと確実に言える人が、絶対的安全圏を確保した上で騒いでるんじゃないかと。物事の善し悪しはどうでもよくて、叩きやすくて且つ自分に火花が飛んでこない対象を見つけて一種のストレス解消グッズとして消費してるだけなんじゃないかと。
逆に、自分にも矛先が向けられる可能性があるならば、どんなに法律的倫理的にグレーである事柄でも、彼らは全力でスルーすることだろう。たとえば「こっそり動画サイトに著作権法違反動画を投稿していた芸能人」が今後出てきたらどうするか。下手にバッシングしたら自分が楽しんでるユーチューブやニコニコ動画が無くなりかねないから、とばかりにひたすら沈黙を守るか、何か理屈を付けて彼を擁護することだろう。
俺個人はそれが悪いとは言わない。ただ思うのは、もし彼を容認もしくは弁護するのなら、不倫をした芸能人も同様に容認か弁護かをしないと矛盾してるってこと。逆に今回山本モナをバッシングした手合いは、今後「こっそり動画サイトに著作権法違反動画を投稿していた芸能人」が出てきたときにも責任もって批判すべき。
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2008/07/post_309f.htmlで谷川さんも書かれているのだけど、たしかに世論がちと「決めつけたら一直線」的なムードになってる気はする。イタリアの世界遺産に落書きした女子大生や野球部の監督が叩かれた件にも同じニオイを感じるし*1

*1:むしろ大分の教員採用試験で発覚した不正のほうが重大かつ批判さるべきだと思うのだが、相対的にその声は小さくないか