『銀盤カレイドスコープ』の新刊について書くその前に

6巻までを読んでなんとなく思っていたこと。
「作者は余計な要素にケリを付けたいと思っているのではないか」。


とかく日本のマスメディアは、スポーツ選手の親子の絆とか、逆に確執とか、誰と誰が付き合っているとか、そういったことにばかり注目するが、それらは競技とは直接関係無いものだ。
『銀盤』にもそれに類する描写がみられる。例えば紫堂恭子の生い立ちについて描いた6巻。母のエゴに振り回された不幸な過去。いかにも日本人が好きそうな話だ。たぶん読者のなかには、「紫堂に勝たせてあげたい!」と思った人も少なくないのだろう。

受け手の数が巨大になればなるほど、メディアの関心は競技の中身そのものから離れていく。それがアスリートにとってはときに冒涜にも等しいのだ、ということを作者海原零は、桜野タズサの口を借りて主張し続けてきた。また海原は大のスポーツ好きであることを、かなり早い時期からあとがきのなかで公言している。

では、なぜそんな作者が親子の確執なんていう、低俗な日本のスポーツメディアが好き好んで取り上げるような話題を小説のなかに盛り込んだのだろう?


たぶん、紫堂は敗れ去るのである。どんな不幸な過去があろうが、そんなことは関係ない。
強いものが勝つ。


それが、作者の一番言いたいことなんじゃないか、と思うのだ。
いったんそういった日本人好みの「物語」を呈示しておいて、でもそうではない、「スポーツ」そのものを描く、そういった流れ。


それがぼくの展開予想だったのだがしかし。
7巻を読んだ人にはご存知の通り、リア×タズサの百合フラグが一気に立ちまくってしまった*1ので、いよいよ物語の着地点がわからなくなってきたのである。


とりあえず新刊は買った。今週あたりにはそのレビューを書こうと思っていたのだが、まだ全然読んでない(ぉ。とりあえず今日は前置きだけ。

*1:や、コレはコレで喜ばしいことではあるのだがw