マリア様がみてる 6巻(漫画長沢智 原作今野緒雪 集英社マーガレットコミックス)
id:kaienさんがこの本について書かれている(http://d.hatena.ne.jp/kaien/20060828/p1)。
熊田一雄は、その著書「男らしさという病? ポップ・カルチャーの新・男性学」のなかで、男性読者による百合作品の受容のされ方に注目している。
そして、熊田氏の主張についてかんたんに紹介したあとで、
ここらへん、ぼくなどはどうなのかなあ、と思わないこともない。少なくともぼくは必ずしも「作品中の登場人物である女性に自己同一化」して百合作品を読んでいないと思う。
んー、ぼくは百合要素を含んだ作品に触れたときにしばしば「自己同一化」したいと思うし、「女性になりたい」ってのも思うけれども。
また、この記述については、
しかし、個人的にはどうも熊田の考えは楽観的すぎるのではないか、と思えてならない。むしろオタクはミソジニー(女性嫌悪)の方向に進んでいるような気すらするからなあ。ああ、やだやだ。
憎悪というか、ルサンチマンはある気がするなあ、自分のなかに。
じっさいにいまの社会で女性が強者であるかどうかは判断が難しいけれど、局面によってはそう見えることがあるんよ。
女性は古くから負わされていた義務から解放されつつ新たな権利を獲得しつつあるように見えて、それは結構なことなんだが、いっぽうで男性は古くから負わされていた義務から逃れられぬまま新たな権利を得ることがなかなか出来ないように見える。
すなわち、男女の不平等が是正されるのなら歓迎すべきことだが、世間の現状は女性差別を男性差別にすり替えつつあるように見える*1。
そう考えると、女の子に対する憧れはあっても自然なんじゃないかなあ、とか思ってしまうわけだったり。
ぼくもこの件、すごく考えてみたい。詳しい論考は海燕さんが挙げた参考図書を読んでからになるんだろうが、とりあえず、こういうサンプルもありまっせ、てことで呈示してみる。参考になるかは分からず。