『春待ちの姫君たち』(友桐夏・集英社コバルト文庫)

こないだ読み終わってから、いろんなレビューを巡ったわけだが、いちばん共感したのはここ。

琴乃というキャラクターがいなかったら俺はこの小説を最後まで読み通すことが出来なかったであろう。ただの脇役のように見えてさにあらず。あんなに賢くて周りがよく見えて、出る杭を打つクサレ外道な女夜叉どもの巣窟である女子校の中にあって性格の悪い量産型女子を寄せ付けない確乎たる信念を持つ琴乃さんはまさに荒野に咲いた一輪の花! 

id:SHNL氏の言うとおり、「可愛くて賢くて騒がしくない女の子」というのは非常にいいものなのである。集団志向で異質なものを排除したがる女子高的文化は唾棄すべきだと思っているし、天然とか電波とか、瞬間風速的には萌えるけど、度を越したのは長期的に見たら疲れる。
そういった意味での「よい子」は決して日本で受けが悪いわけではないと思うし、その系譜は日本のサブカルの中に確かに存在する*1のだが、かといって「可愛くて賢くて騒がしくない女の子」萌えが大きなストリームとなることはない。

推測するに、これは「可愛くて賢くて騒がしくない女の子」という定義を一言で言い表す表現がないからではないだろうか。たとえば「ツンデレ」「ドジっ子」などといった属性がここまで広く流布したのは、おそらくその状態を定義する語が存在するからだ。
言い換えれば、「可愛くて賢くて騒がしくない」女の子を言い表すキャッチーな単語が発明できれば、この属性は大きな力を持つ可能性がある。

*1:たとえば「無人惑星サヴァイヴ」のルナ。自分の考えをしっかり持ち、我侭や他人への依存をよしとはせず、かつ男に媚びることは決してない。