対抗策の思いつきその1

他人のものの見方を批判する前に、まず自分のものの見方を改める。

ある人がゲームをずさんな資料をもとに悪者扱いしたとする。それを別の人がこんな言葉で批判したとしよう。

まったく、学者とか評論家とか、エラソウな肩書きの付いた人間はすぐゲームやアニメを悪者扱いするから困る。

もうお気づきだろうが、これもまた偏見である。「エラソウな肩書きの付いた人間」のすべてが「ゲームやアニメを悪者扱い」しているなんてことは有り得ない。エラソウな肩書きの付いた人たちで、アニメやゲームによく言及している人のブログを巡れば分かることだ。
 
アニメやゲームに対する不当なラベリング*1に抗議している人が、その舌の根も乾かぬうちに「中国人は敵」「在日外国人は犯罪者」といった発言をするのも矛盾した行為だ。自分たちはレッテルを貼られたくないが、他人には貼ってもいい、なんて理屈が通るわけもない。
 
だからまず、自らの発言について省みるべきなのだ。「あらゆる事象に対して不当なラベリングをしない」という態度を明確にしない限り、論争の相手もアニメやゲームに対する不当なラベリングを改める気にはならないであろう。だいいち説得力が無い。また「ラベリングに頼らず考える事」を自分が始めれば、それを見た他の人がそれに倣うかもしれないし、そうすれば少しずつ「フラットなところから考える習慣」が広まっていくかもしれない。

*1:「レッテル貼り」と言い換えても良い。むしろそのほうが分かりやすいか?