今週の康夫ちゃん・つづき
「テープ起こしのコツは、しゃべってることの半分以上を捨てること」と教わったはずなのに、ぜんぜん出来てないというw。
とまれ。4月12日「アクセス」より続き。
田中:これこそ自由民主党や公明党の人も含めて、戦後の日本の想像力を欠如させる教育の成果だね。
浅井:確信が無いわけ。日本人の場合何か行動を起こすときにきちんとした形のことを自分の中で確信を持っていないからいざというときにバタバタするんですよ。確たる信念を持って行動しなければならないということが今回出てきてるわけです。
田中:すべての人が覚悟がないってことです。われわれも含めて。で、3人の人が救出されれば一件落着でもなんでもないんですよ。こういう状況をもたらすような決断をした小泉という人、政権与党、のみならずマスメディア、一般市民も含めて一億総懺悔とは違う意味で、自分の覚悟のほど、想像力の範囲というものをもう一度見直さなければならない。
最初の段落は昨日の引用部分を受けての皮肉。ついでに「救出されれば一件落着」となりそうな世論に釘を刺している。喉もとすぎれば熱さを忘れる国民性(諸外国はどうなのか実際のところ分からないが)もまた、「テストが終われば一件落着」という戦後教育の成果かもしれない。
浅井氏は別の視点から日本人にギモンを投げかける。
浅井:ファルージャの戦闘がなぜ起きたかというと、あそこにいたアメリカがいうところの「いわゆる」民間人。あの人たちは特殊部隊にいたんです。軍事訓練を受けて、軍の特殊訓練をする会社なんです。
浅井:荒れましたよね。なぜあんな残虐なことをするのかということを考えずに「だからアラブの人間は危ない、イスラムの人間は危ない」と。日本でもアラブの人間、イスラムの人間に排他的になったり差別をするわけです。あの4人の人が亡くなることで600人、ほとんど民間の人が亡くなっている。
なんか引っかかるところがあるのは、4人とはいえアメリカ人も死んでるじゃないか、ってところだろうか。だめだ。ぼくには分からない。
ただ日本にいるアラブ、イスラム系の人たちへの排他的感情が根拠のないものであることは明確だろう。同じ理屈でアメリカ人を排除しようとする人はほとんどいないだろうから。