涼宮ハルヒ「へ」の憎悪

http://d.hatena.ne.jp/blauauge/20060608/1149725860のエントリにすごく共感。人間好きに生きたいと思っても大抵ジャマは入るもんだし、それを何とか努力して、それでもダメならときには妥協して、自分の願望を実現していくわけだ。
ところがハルヒはそういった過程を一足飛びに自分の欲望が叶えられてしまう。そしてときには、他人に迷惑や被害を与えたり、社会の規範を破る結果となる。


ただこの段階だと、「単に自分がハルヒのように現実世界で自由に出来ないから嫉妬してるんだろ?」というツッコミには弱い*1

そこで、ぼくが共感した別の文章。上に挙げたエントリから飛んだhttp://www4.ocn.ne.jp/~temp/suzumiya.htmlには、もっと直截的かつ過激な言葉が。

この作品は、この世の倫理を超越したヒロイン、究極の傲慢かつ身勝手な我侭女「涼宮ハルヒ」が、実は世界を創造した神であり、まるで高慢な女に貢ぐアッシーメッシーのように、涼宮ハルヒのご機嫌を取る為に世界中が彼女に尽くしているという物語。

そう。この構造がいちばん我慢ならなかった。なんでたった一人の小娘のために世界が存在してなけりゃいけなくて、そいつのサジ加減ひとつで世界が改変されたり消滅したりさせられなきゃならんのだ。


だが、ぼくがアニメを見た限りでは、涼宮ハルヒは回が進むにしたがって「究極の傲慢かつ身勝手な我侭女」から脱皮しつつあるように感じる。もしかして彼女が変わっていく過程を見せたかったのか?だとしたら、話数をイジった理由はそこにもあるのかもしれない。


というわけで、ようやく「涼宮ハルヒの憂鬱」全話のレビューが完成。以上の前振りを踏まえつつなのか踏まえてないのか自分でも分からんが、とにかく次回から掲載開始。

*1:よくある「役人のムダ使い批判」ってのも同じ構造なのでは?最近公務員が出張で貯めたマイルを私用で使うことに批判がでているようだけど、民間企業でも出張のマイルを私用に使える人は黙ってるだろうし。