「イラクから始めること。」

個人的体験になってしまうが(でも一般化できる事象だと思う)、ネット周りの友人知人に香田さんを非難する人が多いのにショックを受けたばかり。丁度そこはチャットだったのだが、一度目はカチンと来て「彼が死んでもいいとでも?」と気色ばみ(激しく後悔_| ̄|○)、二度目は気分が悪くなって退室してしまった(これまた後悔_| ̄|○)。

いや、「対話」はしようと試みたつもりなのだが、こちらの考えが伝わらないのだ。なんか話し相手の心のドアを叩こうとしているのに、固くシャッターが閉ざされてしまっている感じ。何がショックってそれ。

ぼくは自己責任論は否定すべきだと考えているし、それが多数を誇る世論のままでは自分も他人も幸せになれないと思う。でも他人に自分のものの見方を強制することなどできないし、してはいけない。だからぼくは「こういう考えもあるよ」と提示してもみた。でもそれがスルーされてしまうのでは打つ手が無い。

と思っていたら上山さんのエントリーが、ぼくの悩みを代弁してくれていた。

「一緒に考える」という困難な姿勢を要求する情報は敬遠される。

だから、

「困難な要求をする」だけではなく、「お気軽に取り組める」形を模索することも、政治的・現実的には必要。

必要。ぜったい必要。でもぼくもまた具体的にどうすればいいかは分からない。というかぼく自体が「困難な姿勢」から脱落しかかっている(汗。アタマがついていかない(更汗。もうちょっとこの件について考えたいと思うが、ぼくでは役不足*1ではないだろうか。

でもyamazakuraは粘着なのでw、もうちょっと考えるつもり。

*1:キーワード参照したら、この場合「役者不足」が正解らしい。