年末のM2・2004年、日本の音楽はどこへいく

2003年12月30日、バトルトークラジオ・アクセスのつづき。話はまた音楽に戻る。

宮台:うまいけどすごくない人が増えてると思うんだ。逆に言えばうまくなくてもすごいのがありうる。音楽の享受形態が変わっちゃったわけ。プチミュージシャンは沢山いて、たとえばネットで、ローカルなライブハウスでチョコチョコやって、周りのサークルで話題になって、ミュージシャン気分でいることができるわけ。ユーザーもそれで満足してる。つまりCDの売り上げが下がっているのは、音楽のユーザーが減っているわけでも、コピーが出回ってるわけでもなくて、同心円内で曲のやりとりはあるし、
長野:それでいいのかな。
宮崎:一応音楽関係者聞きなさい、って言ったんでいうけどw、宮台さん「神なきシャーマン」って言ったよね。プチミュージシャンが達成できないものは「声」なんだよ。すごい声の奴ってのが出てくるんじゃないかな。あえて言うならばそれを表現に結び付けていく「詞」の問題。これを意識的に問うたものが勝つと思いますね。

同人CDなんてのもたくさんあるし、ある意味「同心円内」での流通といえる。かつての岡林信康がそうであったような、時代を体現したような歌い手というのは出てきにくい時代ってことか。

多少脱線するが、いわゆるアニソンと、その他のポップスの間に壁を作るようなメディアのあり方につねづね疑問を抱いていた。別にアニソン系のアーチストだけを隔離されたようにしなくてもいいんじゃないか? たとえば一青窃と坂本真綾を同列に扱ってもいいんじゃないか? と。

でも最近、アニソンの世界が社会の動きから遊離していることに理由があるのだろうか、とふと思った。

つづく。