年末のM2・さらに続きます

まだまだ2003年12月30日、バトルトークラジオ・アクセスより。

で、なぜかまた話が飛ぶ。こんどはギャルゲーの話。

ボクちょっと前までバーチャル批判やってたの。ギャルゲーなんかで萌え萌えになってるのやめろよ、現実の苦しさから逃げてんじゃねえよ、って。そしたら学生が「それ古いですよ。ぼくらはギャルゲーの中で自己形成をとげ、喜怒哀楽を享受してきた。現実って薄いじゃないですか。もし現実の女の子がギャルゲーの女の子のように振舞ってくれたら、現実に乗り出して、やってもいい」って感じなんですよ。つまり昔は現実の荒波が怖いからゲームに逃げる、って感じだったの。それが「違う。現実はフラットで喜怒哀楽、興奮、強度、何もない。だからゲームなんですよ」。
宮崎:オレちょっと違うと思うんだ。現実というのはそれでもゲームよりは予測不可能で厄介なんだよw。

別に現実からバーチャルに逃げてるわけではないし、現実には「何もない」からゲーム選んでいるわけでもないんだけどなあ。現実の厳しさは厳しさで受け止め、それとは別にゲームで楽しんでいる人が大半だと思うんだけど。ゲームだからって特別視しなくてもねえ。小説や映画となんら変わりないんじゃないの?

つづく。