ミヤダイどっとこむ「日本中の碇シンジ君たち、殻の中から出てくるのだ!」の巻

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=403
ブクマのほうにもコメントしておいたのだが、補足する。

かつての宮台は、「女子を徹底的に持ち上げ、男子を徹底的にけなす」戦略を取っていた。確かに、専業主婦である母親に甘やかされ、勉強さえできれば承認が得られるという環境で育った男のコが実社会や恋愛の面で落ちこぼれたというのには同意できなくも無い。

しかし、それは多くの男のコたちの反感を買ったと思う。それは援助交際ですら肯定するような、極端な女のコへの肩入れに対する反発もあったろう。しかし重要なのは、「では男のコはどうすればいい?」という問いかけに宮台が向き合ってこなかった点だ。

かれが現状打破の方策として打ち出したもの、それは「学校教育に試行錯誤の機会を設ける」といったものだ。確かにこれは一定の効果はあるかもしれない。
しかし、それではすでに学校教育を終えた男のコ、すなわち20台以降の男性にとっては手立てが残されていないということでもある。

もちろん、これは極論でもある。宮台の発言をよく読めば、何をすればいいかのヒントが断片的には見つけられる。
だが。ぼくの見る限りそれはこちらのエントリ(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=374)にある「ホモ・ソーシャリティ」である。つまり、体罰やしごきを受け入れ、昔ながらの「男性性」に回帰せよ、ということだ。

正直言ってまっぴら御免である。女のコたちがどんどん自由を獲得しているのに、なんで男のコはジェンダーに縛られなければいけないのだ。

かつての宮台の言説は、男のコたちを絶望のどん底に叩き落す凶器だったわけだ。それゆえ当事者たる男のコたちの反発を誘発してしまった。そのことに彼は反省したかのように思っていたのだが、今回の記事を見ても、その頃と本質はなんら変わっていないように感ずる。